IPUHS通信第8号 学長インタビュー

松村(Matsumura) 明(Akira) 新学長

2020年4月、第7代学長に松村明先生が就任されました。そこで、松村新学長ご自身について、就任から現在(2020年11月)までの大学運営、本学に対する印象、今後のビジョンなどについて、お話を伺いました。

――本日は,お忙しいところありがとうございます。
2020年の4月に学長にご就任されましたが,今年は松村学長について知っていただく機会が少なかったので,学長にお話を伺いたいと思います。最初にご略歴など教えていただけますか。
松村:
筑波大学の一回生として昭和四十九年に茨城県に来ました。固い履歴はいいですよね(笑)。最初に筑波大学に入学式で来た時,茨城県に足を踏み入れたことがなくて,どんな遠いとこだろうと思って両親と私で,わざわざ急行の指定席まで取ってきて上野から乗ったらすぐに着いちゃって,こんなに近いんだって初めて知った次第です。
 
――もともとはどちらのご出身ですか?
松村:
親が商社だったのであちこち回っていたんですが,生まれだけは東京の中野区です。生まれてすぐイギリスに行って,小学校一年で帰国し,小学校時代は兵庫県で過ごし,中学でまたドイツに行って,高校の時に東京に戻ってきて,大学入学後はずっと茨城県で。茨城県がもう四十六年ぐらいになり、一番長いですね。若いうちは,県内の病院をずっと回ってですね。日立の方にも二年間行っていたし,それから高萩とか北茨城の病院にも診療とかお手伝いに行ったし,県北から鹿行の方も,あと境町とか筑西とか,県内のいろいろなところに行っています。
茨城県ってすごくいいところなんですけど,なぜかみんな東京の方に行っちゃいがちなんですね,若い人は。もちろん東京っていうのは,遊んだり,買い物したり,あるいは音楽聞きに行ったり,絵画見たり,すごく楽しいところですけど,そんなに住みよい街じゃないんじゃないかなと思っていて。私も東京出身ではありますけど,こんなに茨城県みたいに良いところはないので,東京はちょっと行きたいっていう気持ちは分かるんですけど,茨城県は東京行くにもすごく近いところですし,東京も利用するけど,若い人にはこんな素晴らしい茨城県をぜひ盛り上げていただきたいと思っています。
 
――大学時代はどのようにお過ごしでしたか?
松村:
レイテ島日本住血吸虫研究所にて
(前から2 列目左から3 番目が松村学長)

筑波大学で楽しい学生生活を過ごしました。学生時代は,運動は一応,硬式テニス部所属でしたが、ご存知のように筑波大学のテニス部はすごくレベルが高く、で私はビリッけつで,いつも球拾いとか買い出しとかそういう方だけでした。そこではつまりマネジメント能力を高めたということですね(笑)。チーム医療で言うと,バックヤードで頑張っていたということです。
 医学部時代に,「心理学研究会」というのを立ち上げて,他学部の学生達とフロイトの全集やヤスパースの抄読会を行いました。学生の頃は精神科に行こうと思っていました。もう一つは,「熱帯医学研究会」に参加しました。フィリピンのレイテ島にWHOが立ち上げた「日本住血吸虫研究所」があって,そこにスタディツアーで行きました。その時に目から鱗が落ちるというか,世界を見るというか大きな体験をしました。元々は医療視察で行ったのですが,社会構造とかいわゆる貧困の問題とか,今,SDGsで問題になっているような,いろいろな社会・経済・政治問題が混じりあっていて。そこで社会医学の重要性や国際医療協力の重要性などを感じとったことがありました。
 
――先生のご専門は脳神経外科ですよね?
松村:
ずっと,精神に興味があって,精神と神経,脳とつながって。当時の精神科というのは,良い薬がなくて治りにくい印象がありました。私も学生時代にいろんな精神病院見学に行きました。夏休みに小平の国立精神神経医療センターに行ったり,子供の精神科を見たくて国立小児病院に行ったり。県内では石崎病院などに行きましたが,当時の精神科はなかなかハードルが高くて,本道ではないかもしれませんが、精神に携われる外科医ということで脳神経外科を選びました。ただ精神外科はご存知のようにロボトミーなどで大きな社会的問題となって,一時廃れてしまいました。ただ逆に現在は深部電極で大うつ病を治すとか,強迫性障害も電極で治すという機能的脳神経外科がまただいぶ復活してきて,そう意味で脳の機能を再生したいという想いをずっと持ってきています。
 
――今年の4月の学長へのご就任と新型コロナウイルス感染症の感染拡大のタイミングと重なり,大学の状況を把握していない段階での対応は大変だったと思いますが。
松村:
4月1日赴任のはずが,入学式のことが気になったので,3月20日前後に行われたコロナ対策会議に前学長の永田先生に連絡して出させて頂きました。結局,入学式は取りやめになったし,学生さんたちは授業が中止になったり,遠隔授業になったり,大変な思いを皆さんされてたんですけど,私自身は何かそんなにすごく大変だったというよりは大学内の教職員の人たちが大変だなっていうのがあったのと,やっぱり学生さんが相当大変だったんだろうなって思いがありますね。そんな中で,ここの大学はCloud Campusを何年か前から試行的に使っていた経験があったので,比較的アレルギーなく皆さんに取り組んでいただいたのかなと思います。ZoomとかTeamsとか,そういうのも結構皆さん助産専攻科でも使っていたり,いろいろなところで使っていたので,皆さんキャッチアップが早かったかなと思いました。
 
――医療大学に対しては,どのようなイメージでしたか?
松村:
HAL®︎医療用下肢タイプ
茨城県立医療大学とは,実は最近では装着型サイボーグHAL®︎を使った脳卒中の治験をやるための研究が始まって,その頃から副学長の水上先生とはご一緒させていただいていました。パイロットスタディからプロトコル作り,今の治験に入るまで,人間としてはお付きあいしていたんですけども,このキャンパスとか病院は全然知らなくて。ただし,非常に強みのある大学だなという話はしていました。
それから,自分のもう一つの専門である放射線領域で治療用の加速器を東海村に作ってるんですけど,その中でBNCT,中性子捕捉療法という治療があって,その研究では本学の放射線の先生方とも少しコラボがあって,鹿野先生や以前いらした窪田先生といった方とも放射線を通したつながりがあったし,それから私のとこに来た大学院生も医療大学の卒業生が何人もいたり,例えば,ラジエーションハウス(マンガ・ドラマ)で有名になった早乙女さんが僕のところで博士取ったり,後は今非常勤講師で来てる磯部先生は僕の最初の筑波大での大学院生だったんですね。私が筑波大学にいた時の大学院生は,その半分以上が医師じゃなかったんですよ。放射線が最初で,工学部の学生がHAL®︎のことで来たり,HAL®︎以外の医工学のことで来たり,それから農学の人もいたり,BNCTの薬で薬学の人がいたり,薬学は何人かいましたね。それから看護師さんもいたり,作業療法士もいたり,最近では鍼灸師もいました。鍼灸師の方は,今度(2021年)の3月に博士号を取る予定です。そういうかなり学際性のある研究をずっとやってきていて,いわゆる本道の手術をずっと突き詰めるような職人タイプの脳外科医ではなかったです。そういう意味では,この大学は理学療法士,作業療法士,診療放射線技師,看護師,保健師,助産師,医学物理士といろいろな職種の人がいるので,非常にシンパシーを持っているし,強いなと思っています。この強みをさらに活かしていくべきだと思いますね。それからもう一つは,筑波大でずっと急性期の医療をやってきたんですが,そこでは薬や手術がメインですよね,だいたい。だけどそうではなくて,もっと予防や,薬・手術以外の治療をしていくには,PT,OT,看護師さんたちの力がすごく必要ですよね。あと地域の中で活躍しているのは,実際,医師よりは医療職の方なんですよね。そこをもっともっと強めて本当の意味で地域医療の中での主役を取ると言いますか,そういうことを言うと医師会から怒られるかもしれませんけど(笑)。ただやっぱり医師も足りないという現実もあるので,持ちつ持たれつで地域医療をいかに良くしていくか。そのためにはどうしてもこの医療大学は必要不可欠な大学であると考えています。本学に来てからも認定看護師のコースや,それに特定行為を入れたりなど,そういうことも今年取り組めました。来年からは特定行為入りの認定看護師コースができます。これは全国でもかなり早い方です。他の大学だと1,2年遅らせてやるんですけど,私は筑波大病院の時に特定行為を立ち上げたという経験もあったので,立ち上げるなら早い方がいいでしょうということで来年度から認定看護師のコースが特定看護行為入りで始められることになったんです。
 
――今後の医療大学に対するビジョンは?
松村:
さっきも言ったように,お付き合いはいろいろとあったんですけども,実際どんな大学なのかを知るために,教員の方々全員と面談させて頂いて皆さんのお考えを聞きしました。皆さん,いろいろ夢も持たれているし,現状のこの大学の課題も持たれています。そういうことを今ちょうどまとめてですね,今後どういう大学にしていくかを考えています。一番思ったのは,この大学はすごくいいことをやっているんですけど,それをあまりアピールしないで,おしとやかにいいことをやってらっしゃるなと(笑)。佐藤先生もやられたアンケートで県内の大学の中に医療大学の名前がなかなか出てこなかったり,阿見医大って言われたりしているのが,すごく残念で。広報をして自己アピールをすることがすごく大事で,もちろん中身がついていかないとまずいんですが,この大学にはそれだけの中身は十分持っているし,ポテンシャルもあるので,そういうことをどんどん伸ばしていくお手伝いができたらと考えています。あと10年,20年した時に医療がどのように変わっているかを若い先生に考えてもらって,未来を先取りしていくプランを5年,10年かけてやってかないといけない。将来この大学が,10年,20年,50年先にどのような存在感があって,どうアピールできるかという道筋をつけられたらと思っています。そういう意味で,一つだけこれまでにやったのは,土浦駅に看板を出しました(笑)。それだけでも,1日に何万人の人が駅を通るか分からないですけど,そこで看板を見ていただいて,「ここにそんな大学があるんだ」ということを見てもらうだけでも,名前だけでも覚えてもらうとよいのかなと。それから,土浦は高校生がいっぱい通るので,「こんな大学があるなら受けてみようか」と思ってもらったり,面白いと思ってくれたりすればと思って,まずやったんですよ。あとは,教職員が自分たちをもっと押し出していくことが大事ですね。産学連携もそうですし,学内の活性化,自由度を高めることができたらなと。そのためには,もう一つは「法人化」というキーワードも出てくるんですけど,その辺は今,県とも調整を進めているところで,正式に県の方で認めて頂いても予算なり人員が通れば,そちらに向けても次年度以降取り組んでいければと思っています。
 
――最後に読者の方に向けてメッセージをお願いします。
松村:
在校生の方,特に今年入学してきた人は,コロナ禍という非常に大変な中で,実習も含めて皆さん大変苦労していると思います。けれども,世の中ではいろいろなことが常に起きているので,そういうことに対して強いレジリエンス,つまり耐性と言いますか,どんな困難にも負けない強さを持っていただきたいということが、在校生に一番伝えたいことです。それを養うためにも,私自身もそうでしたけど一度外国に短期間でも長期間でも行ってみて,外から日本を見るということが自分の立ち位置を知る上で,非常に役に立ちました。外から一回日本を見てみること。海外の人が何を考えているか,海外が日本をどう評価しているかという視点を持てると,そこで自分自身の視野が一皮剝けて大きな視点が得られる気がします。
医療大の卒業生は今大体四千人近くになって,それだけ多くの卒業生が県内外で活躍しているということは非常に大きな財産だと思っています。同窓会組織もこれから本格化していくと思います。若いうちは皆さんそれぞれの現場で忙しくて,同窓会という横のつながりは多くないかもしれません。,社会や職場の中核になり責任ある立場になり,それから指導的立場になり,最後は OB になって若い人をサポートするというのが同窓会なので,これから同窓組織や同窓生の絆をしっかりと形成して,つながりを強固なものにしていただきたい。それは,内輪で固まるということではなくて,それを核にして地域や,外の社会でも活躍していっていただきたいということです。もちろん県内の人もいるし,県外や国外に行っている人もいるので,医療大を核にしたネットワークを是非作り上げてもらいたい。
地域の皆さんに対しては,地域の中での存在感を医療大学としてもアピールしていきたいですね。これだけ地域に貢献している大学というのも少ないと思うんですよ,実は。密かに貢献しているというか。だけど,もうこれからはやっぱりもっともっと医療大のアピールをこちらとしてもしますし,地域からもいろいろな要望をあげていただいてて,医療大は阿見町にありますけれども,阿見町にとどまらず,県内各地ひいては全国的にも貢献していければと思っています。産学連携という意味では,もっともっと産業界からここを利用していただいて,産学連携を企業側から持ちかけていただいたり,それからサポートをしていただいたり,例えば寄付講座や共同研究などいろいろな形で企業とも連携して,この茨城県立医療大学を核にした輪を広げていきたいので,是非その辺のサポートやご協力,ご理解をお願いしたいと思います。
――貴重なお話をありがとうございました。
(インタビュアー:佐藤 純)
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